観賞魚としての歴史
メダカ鑑賞の歴史はどのくらい前から始まったのかと思い、少し調べてみました。
まず、メダカがどのくらい前から日本にいたのかと言えば、「数百万年前」からいたことがわかっているそうです。正確な年数には諸説あり、はっきりと解明されていないのが現状です。
18世紀から鑑賞の歴史が始まる
メダカが観賞魚として飼育されるようになったのは近世になってからで、17世紀の職業を紹介する文献「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」の中で、水を張ったタライに観賞用の魚を入れて売り歩く職業の記述があるそうで、この頃の文献にはメダカの記述はまだありませんでしたが、18世紀になるとメダカについて記述された文献が急速に増え始めます。
正確な記述がないのでなんとも言えませんが、もしかしたら17世紀の頃からメダカ売りが存在していた可能性はありますよね。
18世紀の飼育本
当時の鑑賞方法は、平たい水鉢にセキショウを植え、その周りをメダカが泳ぐ姿を上見で楽しむ、という方法が主流でした。18世紀からメダカ売りも存在していたのですが、自分でメダカを採取して飼育する人も多かったようです。
1764年~1772年頃には浮世絵師「鈴木春信」が「めだかすくい」という絵を描いていて、その絵の中では二人の女性が川の浅瀬で網と鉢を持ってメダカ掬いをしている様子が描かれています。また、天明年間に書かれた随筆「譚海(たんかい)」の中にはメダカの飼い方に関する記述があり、当時から観賞魚として庶民の間に浸透していたことが伺えます。
この「譚海(たんかい)」に書かれているメダカの飼育方法ですが、「冬はメダカを飼っている器に石を入れ、メダカが隠れる場所を作り、器を土の中に埋め、蓋をし、静かに置いておくこと」と書かれているそうです。その他にも「時々蓋を開けて足し水をし、春になったら掘り出して暖かなところに置く」などのことが描かれており当時からメダカの習性を観察し、真面目に研究しているのだなと感心しました笑。
それと、18世紀頃の魚の図鑑には野生の黒メダカの他にヒメダカや白めだかも記載されており当時から改良品種が定着していたことも伺えます。
金魚に負けた?
1823年にドイツの医師、シーボルトが著書の中で日本のメダカを紹介したことにより西洋でも知られるようになりました。
ところが19世紀に入るとそれまで高級だった金魚が次第に殖えて広まり、安価な値段になり庶民でも手が届く存在となりました。華やかな金魚に圧倒されてメダカの人気は徐々に衰えていきます。当時は金魚ブームと同時にガラス鉢も庶民に普及しました。ガラス鉢だと観賞魚を横見で楽しめるようになるので、そういった部分でメダカより華がある金魚に軍配が上がりました。
ですが、観賞魚としての人気はなくなってもメダカはボウフラ対策として睡蓮鉢の中や、防火用水の中に入れられ、身近な存在として親しまれていました。
現在では金魚にも劣らない改良メダカが続々と生み出されています。
日本の改良メダカは錦鯉、金魚に続く第三の観賞魚として国内はもちろん、海外の色々な国に認知されて欲しいですね笑。