ダルマメダカの遺伝子について
-引用-メダカの館カタログ2012年
ダルマメダカは高水温で出現する
当時、改良メダカを始めた頃は「ダルマメダカは水温が高くないと出現率が下がる」ということくらいしか知りませんでした。
遺伝子と外的要因が組み合わさることによってできるんならと半ダルマと普通体型のペアを購入してきて夏場の屋外水槽(30~33度)で繁殖させたところ高確率で半ダルマとダルマが出現したことを今でも覚えています笑
引用文中に出てくる英語Fuseedってなんて読むのかgoogle翻訳で訳したらフーズドって言われました。おかしいと思いましたよ、僕も。
調べたんですがfusedだと思います。というかfusedですね笑
余談ですが、会田龍雄博士は凄く良い環境で研究してたんですね。
会田 龍雄(あいだ たつお、明治4年11月21日(1872年1月1日) - 昭和32年(1957年)12月16日)は京都市出身の日本の生物学者、遺伝学者。 元京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授(1903年 - 1941年)。1932年、帝国学士院賞受賞。
経歴 明治4年、有栖川宮家に剣客として仕えた勤王派の父(福島県、矢吹出身)と外科医の娘である母(京都市出身)のあいだに長男として生まれる。銅駝(どうだ)校(小学校)、京都府尋常中学校、第三高等学校を経て、帝国大学理科大学動物学教室に入学、飯島魁に師事。同教室を1896年卒業後、1898年、第五高等学校(熊本)教授。この時同僚に夏目漱石がいた。1903年実家のある京都に戻り、京都高等工芸学校教授。 島津製作所初代社長・島津源蔵の援助によって、京都の自宅の庭に水槽などの実験用設備を整え、メダカの色素の遺伝について精密な交配実験を行った。高等工芸には1週間に1日出勤すればよかったので、自宅でのびのびと研究することができたという。シロメダカの体色が限性遺伝という遺伝様式に従うことを発見し、Y染色体には遺伝子が含まれていない、とした当時の常識をくつがえした。実験結果は、日本の学会には発表せず、アメリカの専門学術雑誌に直接発表した。メダカを実験材料とした遺伝学について、その他にも多くの業績をあげ、1932年帝国学士院賞。 父親譲りの山岡流剣道の達人でもあった。多趣味で、刀剣鑑定、弓道、狩猟、書などにも通じていた。 なお、「アーロン収容所」などの著作で知られる会田雄次(京都大学教授、西洋史)は彼の次男である。会田雄次は「新選組とメダカ学者」という文章で、彼の父祖の歴史を紹介している。
会田龍雄博士が研究してなかったらメダカの進化が遅れていたかもしれませんね。
僕の場合、研究資金を渡されても知識も学力もないので頓挫させますね笑
コツコツと経験を積んでいくしかないようですな。